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2009年1月16日 (金)

巨匠

日刊サイゾーだから、いっか。

とは思えないかも。

最近アタシの周りで騒がれてるニュース。
巨匠・でざきさんのインタビュー記事です。

これを読むと、昨日からノイタミナで「Genji」が開始したようですね。
アタシは初回も見ずに視聴しないことを決めてますが、それはただ単に源氏物語に興味がないだけです。
中学の時とかあさきゆめみしでも読めばちょっとは興味が持てるかも・・・と思ったこともあるけど早々に脱落しました。
源氏?あぁあのロリコン好色男子ねというくらいの知識しかないやー。あははー。

とりあえず言いたいのはCLANNADはヒロインが死ぬから泣ける、というお話しではないと思う。
朋也の成長が泣けるんかな。
そんな彼を怒りというよりはかわいそうだなぁと思う。
こんないいものに触れる機会があったのにそのよさをわかってないんだから。
だから映画も「?」が多かったんだろね。
まっ、アタシもAIRで懲りとけよ!って感じだけど結局見ちゃってるし。(笑)

「人間を甘く見ている」巨匠・出崎統が”萌え”を斬る!

『誰もが魅入ってしまう「源氏物語」は魔物である。自分自身の手で新しい表現の境地に挑んでみたい。』

 1月15日よりフジテレビ"ノイタミナ"ほかにて放送が始まるアニメ『源氏物語千年紀 Genji』で監督を務める出崎統は、原典「源氏物語」への想いをそう表現している。昨年11月、『あさきゆめみし』からの企画変更を経て急ピッチで制作が進む中、アフレコ現場に巨匠を訪ねた。語っていただいたのは、「源氏物語」という文学作品への考察、『あさきゆめみし』から企画変更の顛末、さらには自作『CLANNAD』に覚えた違和感や現在のアニメ制作現場の労働環境についてまで......。65歳の出崎統は爛々と瞳に光を湛え、満面の笑顔で取材班を迎えてくれた。

──抽象的な質問で申し訳ないのですが、出崎さんにとって『源氏物語』とはなんなのでしょうか。

【出崎統】素材としては旧約聖書のような広がりを持っていますよね。聖書も「人間がここまでやるのか」みたいな話ですから。『源氏物語』は人間の何かを捉えようとしている。特に女の人。作者も女なんだけど「イヤだね、女ってここまでやるのかよ」ということがわかる。

──学校のお勉強で習う『源氏物語』だと、テキスト化された形骸しか見えてこない。

【出崎】それと古文のあり方、文法の見本として使われてしまうけど、そんなもんじゃないよね。当時ものすごくはやった、流行小説だと思うんですよ。みんなが応援するものだから調子に乗って、どんどんどんどんお話を作っていった。そんなイキオイがありますよね。ここまでやるの、という。源氏は原典を読むとイヤになるくらいしつこいものね。すべては女性に対して必死であるが故の行動だと思っていますけど、紫の上(「源氏物語」のヒロイン)とのことだけを言えば、これは現代では通用しないな、と思う。子供を攫(さら)い、好みに育て、最後は自分の女にするなんて、どこに自由と民主主義があるんだよ、という気がするじゃないですか(笑)。でも当時の人は、それをおもしろがって読んだんだろうね。

──それにしても光源氏は対象年齢が幅広いですよね。

【出崎】お父さんの愛人で、いまで言えば義理の母親を取っちゃったりするわけだからね。男の子にも手を出しているとか。生きる力だと思うんだよね。人と人が心をぶつけあうという意味では、いまよりもっと積極的な時代だったんじゃないかな。いまはメールだけ、とかね。連絡は頻繁にするけど、実際は会いたくない(笑)。

──それだけ、人と触れ合わないと埋められない何かが、『源氏物語』の時代にはあったんでしょうか?

【出崎】あったと思う。人と触れ合っているから余計温かさもあるし、辛いことももちろんあるんだろうけど。生き生きと生きられる。人の生き方に触れることになるわけだからね。いまはほとんど触れないもんね。どこかのサイトで遠くから、名前を隠して石を投げてくるようなことばかりやってるんでしょ? おまえら出てこいよ、と思うけど、出てこないよね。

──『Genji』についてひとつ訊いておかなければならないことがあります。『あさきゆめみし』から企画が変更された件(記事参照)について。

【出崎】あれオレがイヤって言ったのでも、なんでもないんだよ。いろいろ意見の相違があって、一度は「じゃあオレ辞めます」って言ったんだから。時間はどんどんなくなっていくし、作業として大変なことになることはわかっていた。2カ月か3カ月関係者で調整してたみたいで、きっと制作ペースが週1(1週間で1本を作る)になるぞと思っていたら、実際いま週1になっている。週1で絵コンテ描くのはけっこう大変で。

──その時点でもう制作は始まっていたんですよね?

【出崎】もちろん。シナリオは6、7話まで進んでいた。原作の『あさきゆめみし』のいいところを選りすぐって作っているわけだから。いまはあらためて、まったく別個の『源氏物語』として作り直しています。内容がそのままで看板を架け替えたのではなく。

──何が問題だったのでしょうか。

【出崎】要するに、OKをもらっていた脚本とオレの絵コンテの内容がちがっていたんですよ。最終的な映像を作るために、シナリオはある種のロケハンだと、思っているんです。文字で書いてみる。映像にするためには、あらゆる可能性を考えて、7稿も8稿も書く。ホンがそこへの道しるべをある程度つけてくれている。でもシナリオで一所懸命論理を追ってもらって、その論理を越えたところに何かがあるぞとぼくは思ってるから、絵コンテを書くときに結局はシナリオを使わないかたちになってしまう。

──テキストをアニメーションというメディアに変換するときに、変わらずにはいられない。原作を移植するだけなら、それはもう、ただの作業でしかない、ということですね。

【出崎】そう。原作から映像に変わっていくときに「ええ、こんなものができるの?」という驚きがあるのは、すごくいいことだと思うんですよね。それは原作が持っているキャパシティ、すごさだと思うし。深みへ入っていくこと、広げていくこと、それがぼくらの仕事だと思うから。ぼくはそれをマジメにやっただけなんだけど、マジメすぎたのかなぁ。原作がこうだからアニメ的な面白さを捨てて原作通りにします、とは言いたくなかった。

──そこに目を瞑る不誠実はできなかった。

【出崎】できないですよね。そういう作り方は、少なくともぼくはできないから。

──これまでも原作がある作品を映像化する際に問題があったことはありますか。

【出崎統】『ベルサイユのばら』をやったときに原作ファンから、先生の原作をこんなにするなんてひどい、というお電話はありましたよ。何年か前、ちばてつや先生にお会いしたときに「ぼくはマンガでしたけど、出崎さんには出てきたばかりのアニメーションのなかで『あしたのジョー』の世界を広げていっていただいて、いっしょに作りましたよね」と仰っていただいて驚きました。昔はそういう認識だったんですよね。

──そこに時代の変化を感じますか?

【出崎】その変化は、いいことではないと思う。アニメーションとしての誇りを持ちたい。たとえヘタでもね、決して何かに追従してやっているのではない、自分たちの仕事をしているというかたちでいたい。人気マンガを映像化しました。このセリフはちがうじゃねえかと言われる。ぼくはそういう仕事はできないなと思います。

──いま、違和感をおぼえることはありますか。

【出崎】『CLANNAD』をやっているときに、この子(ヒロイン)なんで死ぬの? って訊いたんです。そうしたら「ゲーム上死なないとね、泣けないんですよ」って答えられた。一見シリアスなんだけどさ、オレから見るとちゃんとした根っこがないんだよね。現象としてそういうのをやれば客は泣く、それがわかっているだけで。だから映画にするときは、どうして死ぬのか、少なくとも心の流れだけはきちんと作っていこう、と。で、その死に対して、ちゃんとそれを感じる人間を登場させようとした。それは当たり前。当たり前のドラマを作っただけなんです。「ここで死なないとゲームとしてマズイんですよね」。それは、視聴率だけよければいいや、というのと似ている。「とりあえず殺せば泣くんだよね」というのは、人間を甘く見ている。甘く見ているし、でもそれで通用する部分があるっていう世の中はなんかヘンだよね。とってもヘンだよね。

──ところで、ずっとコンビを組んでいる杉野昭夫さんとの関係は不変のものですか。

【出崎】いやらしいものはないよ(笑)。ヘンなやつだと、オレは思ってる。ずーっと。1年に1回しか口をきかなかったこともある。同じ会社をやってるんですよ。でも、2年ぶりだね杉野ちゃん、とかね(笑)。そんなもんですよ。でもそれは、アイツがきちんと仕事をやっているから。仕事をしていることさえわかって、病気でなければそれで安心してやっていられる。もしあいつがピンチになった時に何ができるか。オレはなにかできるぞ、って思ってるだけ。

──おふたりは仕事と趣味を分けない生き方を実践されているようですね。

【出崎】それはそうですよ。毎週1本ずつ、アフレコ飛ぶか、という状況で絵コンテを描いていて、すごく厳しい状況だけど、どこか嬉しい部分があるんだよね。もうやめたい、とか、なんにも出てこねえぜとかって思いながら、なんとかなっていくときに、なんかこうポン、と越える、オレこんなのできちゃったよ、という体験が、いまだにあるんです。生きててよかったなと思える瞬間がある。それができなくなったら、どのくらい辛いのかわからない。物を作ってる人はみんなそうだと思う。ほかのことは何もできなくてね。趣味に走る時間がない。だけどしょうがないと思う。

──そういうワーカーホリックな人生をすばらしいと思うし、たくさん労働するのは、好きな仕事だから全然かまわないと思うんです。ただアニメーション業界の職場環境について、今後改善していかなければならないこともあると思うんですが、出崎さんからみてのご意見は。

【出崎】ぼくも全部を知っているわけじゃないから、迂闊なことは言えない。でも昔は虫プロにしたって東映にしたって、人をちゃんと育てていたよね。ちゃんと給料を払って、育てる時間を持った。会社が、組織がね。それがないでしょ、いま。虫プロの第何期生という身分は、それはとても力になるし、誇りでもある。習ってはいるけれどもぼくたちはプロなんだという状況で覚えていくことと、ぼくたち学生ですという状況で覚えていくこととでは、体験の質が、重さが、全然違う。そこを業界がどう考えてんだろうな、って。それは課題ですよね。

──いまアニメがデジタル化して機械技術的には進歩したけど、アニメーションそのものの質が上がっているかどうかというところについてはいかがですか?

【出崎】いやいや、決して上がってないと思う。だってもう自然現象を描ける人がいないんだから。この海の感じどうすんの、この川の流れどうすんの。実写より綺麗な絵を作ろうよと言ったときに、いまはもうCGを使っちゃうけどね。自然現象は、学問とは言わないけれども、少なくとも力学を常識的にわかってないと出来ない。昔はみんなそれを一所懸命勉強したんだよ。

(日刊サイゾー 01月14日)

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